宇太水分神社
「水分」は「みくまり」と読み、流水の調節や分配を意味する「水配り」のことです。
現在でも「水分」の二文字のついた神社は大和地方の各地にありますが、特に宇陀水系の水分信仰は農耕と深い関わりを持っています。
その中でも、中心的な役割を果たし、全国の水利関係者や農業関係者の崇敬を集めているのが、菟田野芳野川沿いにある宇太水分神社と惣社水分神社です。
古市場にある宇太水分神社は、崇神天皇の勅祭社ともいわれる古社で、その起こりは、垂仁天皇の時に神託によって社殿が建設されたことにはじまると「玉岡水分社縁起」には記されています。源頼朝が子どもの頃に植えたといわれる杉の巨木に囲まれた境内に建つ本殿は、鎌倉時代のもので、中央と左右の三殿からなる水分連結造りの古い形式をとどめています。
全体に鮮やかな朱が施された社殿は、現在国宝に指定されています。
また、境内社の春日神社と宗像神社の本殿も、それぞれ国の重要文化財に指定されています。
日張山青蓮寺
宇賀志川の上流にある緑美しい閑静な山、それが日張山です。その中腹にあるのが、青蓮寺です。
境内に鐘楼、檜皮葺の阿弥陀堂、そして萱葺の開山堂が静かに並ぶこのお寺の起こりには、悲しい伝説が残されています。
時代は奈良朝、継母の中傷により父藤原豊成の命令で日張山に流された中将姫。本来なら処刑されるところだったものを、ことの真相を知った松井嘉藤太夫妻に助けられ、姫は一庵を設けて念仏三昧の日々を送ることになりました。
数年後、菟田野へ遊猟に赴いた父と再会し、奈良の都へ戻りました。
しかし、世の無常を感じる姫は、当麻寺で得度を受け尼僧となり、19歳の時に再び日張山へ戻って、一宇の堂を建立しました。生涯そこで仏に祈りを捧げたと伝えられています。
現在も、中将姫の命日にあたる4月14日には厳かに法要が行われ、各地から姫を慕う信者が集まってきます。